ブロンソン・キーワード

ジル・アイアランド
Jill Ireland

 いわずとしれたチャールズ・ブロンソン最愛の天使。1936年、イギリス・ミドルセックス州生まれ。バレリーナ、モデルを経て19歳で『美わしのロザリンダ』でデビュー。58年、『武装強盗団』での共演者デヴィッド・マッカラムと結婚、66年に離婚。翌67年にチャールズ・ブロンソンと結婚。『雨の訪問者』をはじめ夫婦共演作は多数。84年の乳ガンを患い、右乳房を切除した。その後、ガンとの闘病生活に入る。著書に闘病記『ライフ・ウィッシュ』(87年)と、家族や人生の苦難を克服してきた生涯をまとめた自伝『ライフライン 命ある限り』(89年/NTT出版)がある。1990年5月18日ロサンゼルス郊外の自宅で死去、享年54歳。

ブロンソン&アイアランド共演作品

トップレディを殺せ <未>(1986)
ロサンゼルス
(1982)
チャールズ・ブロンソン/愛と銃弾
<未>(1978)
正午から3時まで
(1976)
軍用列車
(1975)
ストリートファイター
(1975)
ブレイクアウト
(1975)
さらばバルデス
(1973)
チャトズ・ランド
(1972)
バラキ
(1972)
メカニック
(1972)
雨の訪問者
(1970)
狼の挽歌
(1970)
扉の影に誰かいる
(1970)
夜の訪問者
(1970)
戦うパンチョ・ビラ
(1968)

 

キム・ウイークス
Kim Weeks

 チャールズ・ブロンソン三番目の妻。98年12月12日結婚。当時77歳のブロンソンとの年齢差39歳(!)。故ジル・アイアランドの二冊目の著書『ライフライン 命ある限り』の口述筆記をアイアランド本人から依頼されたキム・ウイークス(当時は女優)は、妻に先立たれ失意の中にあったブロンソンを元気づけ続けた。ブロンソンは自分の年齢を考えて一回は関係を破局させているが、アイアランド死後7年目にようやく結婚を決意。一部の口汚ないマスコミからは「ウィークスはブロンソンの遺産を狙っている」とも報じている。果たして・・・? ブロンソン映画には『サイコパス/9本指の死体』(93)、『キング・オブ・リベンジ』(93)、『COP コップ』(96)、『キング・オブ・コップ』(98)に出演している。

 

マンダム

 化粧品メーカーの丹頂が1970年に発売した商品名。TVCMはキャラクターにチャールズ・ブロンソンを起用、映画監督・大林宣彦によって撮影された。日本の企業が外国人映画俳優をTVCMに使った初の試みだった。「うーん、マンダム」という渋いセリフが大流行。これがブロンソンの日本での知名度を決定的にした。当然、商品は大ヒットとなり、翌年71年に丹頂は現社名であるマンダムに商号変更している。のちに大林監督が語ったところによると、カウボーイ・スタイルのブロンソンが腰のホルスターからリヴォルバーを抜くファニングのシーンを撮ろうとした時、ブロンソンは撃鉄を起こすのに失敗し、指を挟んでしまったという。また、撮影前の段取りが難航し、ブロンソンを拘束できる時間の終りが迫りつつあった。企画が失敗に終わるとスタッフの誰もが落胆した時、ブロンソンは自分の腕時計の針を一時間戻して「我々にはまだ時間があるじゃないか」と粋な計らいをみせた(このエピソードの真相は後述)。余談だが、私は10代の頃、パンク・ロックにかぶれ出し、いかにして髪の毛を逆立てるかと試行錯誤した時期がある。なまじ長い髪を逆立てるには強力なヘアースプレーが必要となり、各社のものを試したが、最も強力だったのはマンダム製の「スーパー・ハード」だった。

マンダムのポスター



“マンダム〜男の世界”のEPレコード

 

大林宣彦

 恐らく日本の映画界でブロンソンともっとも親交があったのは大林宣彦監督だろう。
 2004年にデックスから出た非売品の特典DVDで、大林監督はマンダムCMの撮影現場秘話を披露してくれている。その内容たるや非常に興味深いものばかりで、レアな話が満載。このDVDについては改めて報告したいと思うのだが、ひとつガクッときたことがあった。別述した「
我々にはまだ時間があるじゃないか」の件。素敵なエピソードとして語り継がれてきたイイ話だったのだが、実はアレ、大林監督の作り話だったのだ! 真相はこうだ。撮影中、どうしても時間が足りなくなった。ブロンソンを拘束できる契約の時間が残り30分という時点で、大林監督はブロンソンに、本当はあと2時間欲しいところを、それは気の毒ということで「あと1時間くれないか?」と控え目に相談した。するとブロンソンはジル・アイアランドに電話して、約束していた家族との食事が1時間遅れることを伝え、撮影時間の延長を承諾した、というのだ。ただこれだけの話だったのだが、大林監督は現場の士気を高めるためにスタッフに「チャールズが時計の針を1時間戻してくれたぞ」と話した。後日、何故かホリ・プロの社長やら永六輔やらが、「それはイイ話ですね」と騒いだものだから、いつの間にか事実のように広まっていった。多分、大林監督自身、「あれは私の作り話です」と言い出すタイミングを失ってしまったのだろう。
 まあ、これはこれで面白い話ではあるのだが、ブロンソンが自分の時計の針を戻したという素敵なエピソードを、わざわざバラさなくてもいいだろが! と言いたくもなるのも人情なり。

 ところで話は変わるが、大学時代の友人2人がバイクで東京から九州までツーリング旅行をしたことがあった。2人が各地で撮った写真を見せてもらったのだが、その中に友人らが大林監督と一緒に写っている写真があった。聞くと、尾道に寄った2人が偶然入った喫茶店に大林監督がいて、一緒に写真を、とお願いしたところ、監督は気さくに応じてくれたという。ブロンソンの粋なエピソードを台無しにしてくれた監督ではあるが、当の監督は見ず知らずの若者にも優しく接するお人柄のようだ。

 

ロス火災

 1993年11月2日から翌3日にかけてロス郊外の高給住宅地マリブで大火災発生。約2万ヘクタールが焼失し、チャールズ・ブロンソンの邸宅も一部が焼けた。火災鎮静後、自宅前の路上でテレビ・インタヴューを受けるブロンソンの姿が、日本のニュース映像でも流れ、Tシャツ姿が若々しく、元気な様子に安心させられた記憶がある。

 

米国務省対テロPR

 1990年10月16日、米国務省は、民間からテロ情報を求めるPR作戦を発表。有力情報には最高で400万ドルの賞金が支払われるという。当時、イラクに集結していたアラブゲリラから発せられた対米テロ宣言をけん制したもの。この情報募集プログラムのテレビとラジオ用のコマーシャル製作にチャールズ・ブロンソンは、チャールトン・ヘストン、チャーリー・シーンとともに協力した。

 

ザ・ブロンソンズ

 イラストレーターのみうらじゅんとミュージシャン・俳優の田口トモロヲによって95年に結成されたユニット。男気を普及させるべくテンガロンハットとつけヒゲで頑張っていた。また雑誌『STUDIO VOICE』で「ブロンソンに聞け」というレギュラー・コーナーが連載されて、それをまとめた『ブロンソンならこう言うね』(こま書房)を出版。このタイトルの素晴らしさには嫉妬を覚えるほどのセンスを感じる。ザ・ブロンソンズによると“ブロンソン5箇条”なる鉄則があり、

@ 女房を愛し尽くせ

A ファミリーは命をかけて守れ

B 外見を越える男気を持て

C 仕事は選ぶな

D たまったら出せ(中で)

となっている。Dはともかく、Bは非常に重要項目といえる。のちに田口トモロヲは新聞で以下のようなコメントをしていた。
「西部劇の名優チャールズ・ブロンソンズにあやかったんです。ひげは描けますけど、テンガロンハットはなかなか見つからなかった。しかも、ものすごく高いんだよね。それが今や、渋谷や下北沢の雑貨店で手軽に手に入る。腹たちますねー。高かったのに。うん、いますよ、女の子。赤いテンガロンハット。カウガール。かわいいですねー。パフィーもファッション誌でテンガロンかぶっていたんですよ。くやしいですねー。まねやんか。影の番長はおれたちだぞって言いたい。中年の遠吠えだけど。(テンガロンハットは)僕らの間では汗臭いイメージだったんですけど。サム・ペキンパーのバイオレンス映画に出てくるようなおっさん。鼻の毛穴が開いてる、きたなーいオヤジに似合うような感じがあったんですが・・・。男気を普及するつもりが、帽子を布教してしまったんですかね」

 

STUDIO VOICE

 雑誌STUDIO VOICEの1996年2月号の特集は「男の世界」。ブロンソンが表紙を飾っている。上のザ・ブロンソンズが責任監修し、男気とは何か?が熱く語られている。この特集によると、何処かにあるというブロンソン大陸には、リー・マーヴィン、ジョージ・ケネディ、ジェームズ・コバーン、アーネスト・ボーグナインら男汁男優たちが住んでいる。・・・らしい。さらにジョン・レノン&オノ・ヨーコ、ジョン・カサヴェテス&ジーナ・ローランズ、シド・ヴィシャス&ナンシー・スパンゲンら、とにかく異常にラブラブなカップルも二人揃ってブロンソン大陸に行ける。・・・らしい。

STUDIO VOICEの表紙

 

リー・マーヴィン
Lee Marvin

 1924年2月19日、ニューヨーク生まれ。60〜 70年代アクション映画を代表する、アーネスト・ボーグナインと双璧を成すゴリラ顔の雄。『特攻大作戦』でブロンソンを含む死刑囚部隊を率いてナチスのパーティーを襲撃した。古参の“鬼軍曹”というイメージが強い。『デス・ハント』でもブロンソンと共演を果たす。が、両者のツーショットがなく、別撮りしたのではないか?とも推測できる。1987年8月29日死去。享年63歳。

 

ジェームズ・コバーン
James Coburn

 1928年8月31日、ネブラスカ州生まれ。 『荒野の七人』、『大脱走』、『ストリートファイター』でブロンソンと共演。コバーン自身もアクション・スターだったが『ストリートファイター』ではブロンソンに食われっぱなし。しかし、ブロンソンの動とコバーンの静のバランスが成り立っていたからこそ傑作になり得たのも事実である。個人的にはブルース・リーのジークンドーの直弟子だったことでもポイント高い。コバーン自身の主演映画で好きなのは『夕陽のギャングたち』と『戦争のはらわた』。


『ストリートファイター』(75)より


25年後の二人

 

エド・ローター
Ed Lauter

 1940年10月30日、ニューヨーク生まれ。『軍用列車』『ホワイト・バッファロー』『デス・ハント』『スーパー・マグナム』でブロンソンと共演を果たしている。なかなか味のある顔つきで、個人的にもお気に入り。ほとんどが悪役とかロクでもない役だが、バート・レイノルズ主演の『ロンゲスト・ヤード』の看守役は、ラストシーンで男気を見せた。

 

ロバート・テシア
Robert Tessier

 1934年6月2日、マサチューセッツ州生まれ。悪役一代。一度観れば忘れられない凶悪な面構えだが、笑った時は意外に可愛かったりする。ブロンソン映画には『ストリートファイター』『軍用列車』に出演している。とくに前者ではブロンソン相手に肉弾戦を展開させた。老練なブロンソンのナックル・ブローに沈む。それ以外に『超高層プロフェッショナル』での善人役で気のいい鉄筋工を好演したこともあった。1990年10月11日死去。享年56歳。

 

CHARLES BRONSON

 何の事かさっぱり判らん人も多いと思うが、これはアメリカのパンク・バンドの名前である。パンク/ハードコアといっても、ブラスト・ビート全開で血管ブチキレのシャウトで突っ走る、いわゆるパワー・バイオレンス。90年代後半の僅かな活動期間で幕を閉じたが、SPAZZ、HELLNATION、LOS CRUDOSなどが好きな人にはお勧め。アナログ・レコードしかリリースしてなかったが、2001年についに全音源をまとめたCD『Dicocrappy』を発表。私も大好きなバンド。

『Discocrappy』CDジャケット

 

NOFX

 パンク・小ネタをもう一発。BAD RELIGIONと並ぶEpitaghの看板バンドNOFXの94年のアルバム『Punk In Drublic』より。Mの「Punk Guy」の歌詞に“Got A Face Like Charles Bronson.Straight Outta Green Bay Wisconsin”という一節がある。サウンドはメロコアらしくノリノリのパンク・ロックで、パンク野郎として生まれついた自分について歌われている。ハッキリ言ってあまり良い意味でブロンソンの名前を引用しているワケではない。ニュアンス的には「こんなブ男に生まれちまったぜ」という感じか。


『Punk In Drublic』のジャケット

 

髭 = ブロンソン

 ゴツい顔に髭を生やしているだけで、ブロンソンを引き合いに出されるケースがある。それだけ【髭 = プロンソン】というイメージが強かったワケだが、当の本人にとって果たして名誉なことだったのだろうか。

阿修羅・原(プロレスラー)
 1947年1月8日、長崎県北高来郡出身。元ラクビー世界選抜日本代表の原進は、作家の野崎昭如命名のリングネーム“阿修羅・原”として、76年、国際ブロレス入団を皮切りに、新日本プロレス(対藤波戦)、全日本プロレス、SWS、WARと渡り歩いた流浪のプロレスラー。全盛期は80年代末の“龍原砲”時代。タフネス&パワフルなファイト・スタイルから「タフガイ」の安直すぎる異名もとったが、ヒゲを生やしている、という理由だけでさらに安直に「和製チャールズ・プロンソン」とも呼ばれた。本人がブロンソンの映画を観たことがあるのかは怪しい。

山下タダシ(映画俳優)
 
ふてぶてしいボディと貧相な面構えがアンバランスでまったく華がないのに、よくぞ俳優になれたなぁ、と感心してしまうが、実は単なる日系アメリカ人の空手家で、演技力の云々を問われて映画界入りしたのではないようだ。日本では『ザ・カラテ』(74)シリーズで少しだけ名が知られ、千葉真一主演の『激殺! 邪道拳』(77)で準主役を演じた。ただし、日本語がまったく喋れないので、同作のビデオでは無理矢理日本語吹き替えになっていた。アメリカでの知名度は日本以上にないと思われるが、英語名はブロンソン・リー。空手家だから「リー(もちろん元祖はブルース・リー)」、髭面だから「ブロンソン」というのは、あまりに芸もヒネリもない。当然、本人がブロンソンの映画を観たことがあるのかは怪しい。