ランボー
(米・82)監督/テッド・コッチェフ
出演/シルベスター・スタローン、リチャード・クレンナ、ブライアン・デネヒーどんより曇った空、濡れた地面、白い吐息。中学生の頃、劇場でこの映画を観て、ジュリー・ゴールドスミスのドラマチックな音楽とともに、画面の“寒さ”が身に染みたのを覚えている。80年代のアメリカ、悪名高きロナルド・レーガンは「ロナルド」と「ランボー」をかけ合わせて「ロンボー」とバカにされていた。タカ派を指して“好戦的な単細胞”の意味で「ランボー」が引用されていたのは、シリーズ第二弾『ランボー 怒りの脱出』(85)と第三弾『ランボー3 怒りのアフガン』(88)のあまりに中身がないバカさ加減をみれば納得できる。しかし、少なくともシリーズ第一作目は十分に楽しめるアクション娯楽映画だと思う。くだらない国家だの正義だの使命だのを背負わず一人で戦いを展開させる主人公ジョン・ランボーには少なからず感情移入ができる。戦闘マシンでありながら、過去の悪夢から逃れられず虚無の日々を生き繋ぐベトナム帰還兵を、まだハングリーな目つきだった頃のシルベスター“スライ”スタローンが演じる。この映画でのスタローンは粗削りな野生味がみなぎる一方で、さみしげな表情が印象的だった。本作以降、アクション映画には筋肉以外に取り得のないマッチョ系が雨後のタケノコのごとくウジャウシャ台頭してくるのだが、スタローンと、アーノルド・シュワルツェネッガーを筆頭とする有象無象のマッチョ系との間に演技者としての格段の差があるのは、この『ランボー』をみれば一目瞭然。冒頭、戦友の死を知らされたランボーが寒そうな景色の中をトボトボ歩く姿や、鳴咽しながらトラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)に感情をぶち撒けるラストシーンなどは、単なるボディビルダーあがりの俳優に出来る芸当ではない。どうしようもないシリーズ続編との決定的な違いは、比較にならないストーリーの完成度にある。一方的解釈で悪人に仕立てられた外国人をアメリカ人が薄っぺらな正義を振りかざして撃退するのがハリウッド映画の常だが、ベトナム戦争後のアメリカのダークサイドを歩いてきた男が、アメリカの傲慢さを象徴する権力機構に挑んでいく。映画全体に漂うヒリヒリする冷たさはディヴッド・マレル原作の『一人だけの軍隊』のそれに近いだろう。ランボーと敵対関係にある保安官(ブライアン・デネヒー)は横暴であるが、町を守らんとする強い信念の表れでもある。不当に差別されたランボーの怒りは共感できる。そして他所者に町を荒らされることを心配する保安官にも、身を挺して家族を守る父性に似た魅力を感じる。原題“First Blood(最初の血)”とは先に手を出したのはどちらか、ということ。ランボーにも保安官にも非はある。しかし、両者の行動原理には善悪を超えた筋が通っている。主人公側のみの視点に立った勧善懲悪ストーリーにならなかったことは評価されてもいいはず。アクション場面にだけに重点を置かずに、アメリカの陰部、社会の片隅でのたうちまわるベトナム帰還兵の悲痛さを浮き彫りにした力作とみた。