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クリント・イーストウッド
Clint Eastwood
1930年5月31日、カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ

 やはり、この人は絶対に外すことはできない。なんといっても『ダーティハリー』(71)シリーズのハリー・キャラハンは、どう考えても映画史上最高のヒーローの一人である。ブロンソンとの表立った接点はあまりなかったと思われるが、出演映画の作風や演じたキャラクター、関わった人脈には共通点がある。また、アメリカよりもヨーロッパに渡って出演した映画で人気が確立された経緯と、恋人や妻と共演したがる性質も似ている。決定的な違いは、ブロンソンよりも良質な作品に恵まれ、また、自身も映画人として着実に深みのある成長を歩んでいる点。ブロンソンは汗臭い肉体派のイメージから脱却できず、60歳を過ぎても街のチンピラ相手に駆けずり回った。仕事を選ばない姿勢はマイナスに作用し、結果、メインストリートから消えていった。それに対し、イーストウッドは俳優業のみに留まらず映画作りに深く関わっていき、自分自身を演出するだけでなく作品全体を創作する手腕を磨いていった。

マンハッタン無宿
(米・68年 監督/ドン・シーゲル)

 アリゾナの田舎刑事が大都会ニューヨークまで犯人を追いかけてくる。「プレ『ダーティハリー』」とでも言うべき刑事アクションで、大都会でも西部劇のガンマンのような行動で大暴れする。警察機構の規律などふっ飛ばして犯人を追いつめる活躍はまさに無頼。飄々と惚けた感じのキャラクターが魅力的だった。

サンダーボルト
(米・74年 監督/マイケル・チミノ)

 アウトロー4人が銀行強盗を企てる犯罪映画ではあるが、これも現代を舞台にした西部劇と思われるテイストが溢れる。頭脳プレーよりも肉体派の行動力と対戦車砲で金庫をぶち破る手口が豪快。向こう見ずの若者ジェフ・ブリッジスと荒くれ者ジョージ・ケネディに挟まれながらタフガイの貫禄をみせる。アメリカの広大な自然をバックに、カントリー・ミュージックのBGMが妙に心地良い。観方によってはニュー・シネマの臭いもする。

アウトロー
(米・77年 監督/クリント・イーストウッド)

 主人公ジョージー・ウェールズのルックスはマカロニ・ウエスタン時代を思わせるが、金ではなく復讐が戦う動機になっている。妻子を殺した南軍ゲリラを追跡する悲壮なストーリーで、幽鬼のような凄みを漂わせながらも、気のいい仲間たちの交流とダイナミックなアクション場面によって陰湿さはない。コルト・アーミーの二挺拳銃がカッコいい。

ガントレット
(米・77年 監督/クリント・イーストウッド)

 逮捕された女マリーの護送を命じられた刑事ショックリーが、知らずのうちに陰謀に巻きこまれる。罠にハメられ命を狙われる刑事と女が、いがみ合いながら心を通わせ、真の悪を叩くため逆襲に転じていく。完全無欠のヒーローではなく欠点だらけのキャラクターが逆に好感を持たせる。「なんでバスのタイヤを撃たないの?」とツッコミを入れたがるのも解るが、これは映画なのだ。

ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場
(米・86年 監督/クリント・イーストウッド)

 ダメな連中ばかりが集まった海兵隊偵察小隊に、退官間近の古参鬼軍曹トム・ハイウェイが転属してくる。叩き上げの軍曹は鬼のよに厳しく、隊員たちの反感を買うが、強い信念を持つ軍曹にやがて魅了されていく。かつてリー・マーヴィンが得意としていた役どころをイーストウッドが楽しそうに演じているのが印象的。ガンコで乱暴だが情にも厚い男をいぶし銀の魅力で楽しませる。

戦略大作戦
(米・70年 監督/ブライアン・G・ハットン)

 戦争も軍規も知ったこっちゃねぇ! ドイツ軍が隠している金塊を掻っ払おうと戦線離脱するならず者部隊をユーモラスに描いた娯楽戦争映画の決定版。イーストウッドが第二次世界大戦の米陸軍のコスチュームを披露するレアな映画。円熟味が出る前のイーストウッドが程よく愛嬌もある主人公ケリーを演じている。T34改タイガー戦車の前にイースウッド、テリー・サヴァラス、ドナルド・サザーランドの三人が立ちはだかるシーンはまるで西部劇のようだ。敵の金庫から金塊を奪うストーリーもマカロニ・ウエスタン的。

セルジオ・レオーネ
 イーストウッドのスターダムの第一歩はイタリアから始まったと考えてもいい。それ以前にもアメリカで仕事をしていたとはいえ、真の意味で一発当てたのはセルジオ・レオーネ監督のマカロニ・ウエスタンからだと言えまいか。その『荒野の用心棒』(64)、『夕陽のガンマン』(65)、『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(67)はいわゆる“ドル三部作(厳密にはシリーズではないが、全作の原題にdollerが付いている)”とも呼ばれ、マカロニ・ウエスタンの傑作というより、映画史的にも無視できない作品。クオリティの面で他のマカロニ・ウエスタンとは一線を画している。この三作でイーストウッドが演じた髭面のガンマンがハンパじゃなくカッコいい。イーストウッド曰く「生涯最後の西部劇」である『許されざる者』(92)のエンディングで「ドンとセルジオに捧げる」のクレジットを観た時、胸が熱くなった。私見では彼に付いて回るマカロニとハリー・キャラハンのイメージとの決別ではないかと思う。世界的な名声を得たレオーネの渾身作『ウエスタン』(68)は、主要キャストにヘンリー・フォンダ、ジェイスン・ロバーツ、クラウディア・カルデナーレなど一流どころを配した大作となった。復讐のために流れ歩く謎の男をチャールズ・ブロンソンが演じた。マカロニ・ウエスタン独特の荒唐無稽さや、駄菓子屋的キャッチーさはなく、地鳴りするような迫力に満ち溢れた一本に仕上げられた反面、やたらと間が長く中ダルミしっぱなしでツラいのも事実。だが、ブロンソンがブロンソンにしかできない役どころを見事に演じきっている。

ドン・シーゲル
 イーストウッドといえばハリー・キャラハンを真っ先に連想させられるほど、『ダーティハリー』で作られたイメージは強い。それだけ『ダーティハリー』のインパクトは絶大ということだ。警察官でありながら、その行動は「汚ねぇクズ野郎は許さねぇ。俺の流儀でやってやる」だった。現在のアクシヨン映画では普通になった、手段を選ばない破戒刑事のスタイルを作ったのは本作と見るべきだろう。それは後続のはみだし刑事モノ映画が、必ずといっていいぼと『ダーティハリー』を引き合いに出して語られることからも窺える。監督のドン・シーゲルの演出は素晴らしい。徹底的に犯人スコルピオの卑劣さを見せて観客に怒りと憎悪を抱かせた。無差別に人を狙撃し、誘拐した人質を殺す非情さを見せつけられた以上、たとえ法を無視してでもスコルピオを裁いて欲しい願わずにはいられない。それをハリーがやり遂げた時、胸に去来するものは“共感”と“痛快”だった。
 ドン・シーゲルの映画の主人公は、課された制約や束縛から解き放たれ、自由であるが危険な世界に飛び込んでいく。銀行強盗が追っ手を欺いてまんまと逃げる『突破!』(73)、文字どおり自由を求めて監獄から脱出する『アルカトラズからの脱出』(79)などが解り易い例。この『ダーティハリー』のラストは、もはや公僕にあるまじき手段を行使したハリー・キャラハンが、警察バッチを河に投げ込み、警察官という職業と決別する。シーゲルとブロンソンの唯一のコラボレーションが77年の『テレフォン』。ブロンソンにはイーストウッドほどの柔軟な表現力はないが、機械的に標的を“処理”していく主人公・ソ連軍工作員ボルゾフはブロンソンこそ適役。この冷戦時代の申し子は、指令に従って仕事をこなす。しかし、ラスト・シーンではKGBとCIAを逆に脅して、勝手な論理で個人を殺す米ソ両国家に一杯食らわす。キャラハンもボルゾフも組織に背負わされたものをかなぐり捨てる。シーゲルが観客に見せたかったものとは、大きな力に流されることを拒絶し、たとえ吉と出るか凶と出るかは判らずとも運命を切り裂く男の姿ではなかったのか。

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