ブラック・ハンター
(米・74)監督/ジョナサン・カプラン
出演/アイザック・ヘイズ、ヤフェット・コットー、アラン・ウィークス保釈中に逃亡した犯罪者を追跡するバウンティ・ハンター、トラック・ターナー。彼は相棒と組んで黒人裏社会の大物ゲーターを銃撃戦の末に射殺した。ゲーターの妻はターナーに復讐するために暗黒街の殺し屋集団を雇う。ターナーも相棒を殺されて復讐に燃え、殺し屋集団へ単身戦いを挑んでゆく。
ソウル界の帝王アイザック・ヘイズの顔がアクション映画の主役に不向きなのは、ちょっと考えれば解りそうなもんだが、どういうわけか堂々と主役を張ってしまっている。『ニューヨーク1997』(81)での悪役は辛うじて記憶に残ったが、やはり善玉の主役は普通に考えて無理だろう。粗暴な悪役そのもののスキヘッドとモジャモジャのヒゲ面からは、『黒いジャガー』(71)のシャフトほどの都会的センスが微塵も感じられない。要するに70年代に流行ったブラックスプロイテーションにてっとり早く便乗しただけの映画なのかもしれない。黒人が憎悪する横暴な白人以上に傍若無人に振舞う黒人が活躍し、女でも平気で殺す黒人ヒーロー像は、女を“BITCH”と呼ぶギャングスタ・ラップの感覚にも通じる。アクション場面はふんだんに用意されいるのだが、むしろ無駄に派手なシーンの連続。たとえばターナーがゲーターを追うカーチェイス・シーン。意味もなく消火栓や電柱にさんざん激突した挙句に車を捨てて工場に逃げ込んだゲーター。鬼ごっこにしか見えない追いかけっこを繰り広げて、今度は停めてあったターナーの車を盗んで逃げてしまう。一体、工場内のシーンは何の意味があったのか? 病院での医者や患者を巻き込んでの銃撃戦はそれなりに見応えがあったが、強引すぎる結末に緊迫感はない。アイザック・ヘイズに俳優としての深みがなく、フレッド・ウィリアムソンやジム・ブラウンらと同格に押し上げようとした製作陣の思惑が裏目に出た。今更どうでもいいが、黒人のバウンティ・ハンターというだけで、マックィーンの『ハンター』(80)からヒントを得たような『ブラックハンター』というビデオ・タイトルのセンスもどうかと思う。